玄侑宗久

【アブラクサスの祭】玄侑宗久

アブラクサスの祭
映画にもなったちょっと変わったお坊さん、浄念の話。

浄念は、躁鬱の状態をさまよいながら「自分」に苦しみ続けている。
自殺未遂をし、その後自分を引き受けてくれた玄宗のもとでお勤めをしながら、
妻の多恵と、息子の理有と暮らしている。
抗鬱剤・抗躁剤・抗分裂剤を服用しながらも、心穏やかに暮らすのは難しい。
浄念が自分の存在に折り合いをつけるには、歌を歌うことしかない。
そして、今自分が住む町でライブを開催することを決めた。

不安定な浄念を自分の寺に引き受けるのは、玄宗にとってリスクの大きかったろう。危うい浄念を見ながら、玄宗は自分に向かっていろいろな自問自答を繰り返していく。玄宗は浄念のなかに「有り難く立派なお坊さんが棲んでいる」という。

お坊さんというと、葬式や法事で必要な人というイメージになってしまっているけれど、本来は宗教人なのだから、こういう一面はあっていいんじゃないかと思った。
自分のなかの混乱を引き受ける人、そういえばイエス・キリストも引き受ける人でしたね。
(2012.4月13日読了)

玄侑宗久

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